サキャ・ティチェン・リンポチェ(41代サキャ派座主)
チベット人社会において文殊菩薩の化身と信じられているサキャ・ティチェン・リンポチェはサキャ派の最高指導者です (リンポチェとは尊者という意味) 。ダライ・ラマ法王猊下が「密教阿闍梨の王」と称えるサキャ・ティチェン・リンポチェは、密教全般、特にサキャ派の密教の甚深な伝統を守り、実践し、教えることに生涯を捧げて来られました。リンポチェは、チベットに仏教が伝来する前より続く古代のコン氏族の家系に属します。1959年に41代目のサキャ・ティズィン(座主)として就任され、2017年にご長男のラトナ・ヴァジュラ・リンポチェに譲られるまで、座主を勤めてこられました。
ラトナ・ヴァジュラ・リンポチェ(42代サキャ・ティズィン)
サキャ・ティチェン法王のご長男として1974年インド・デラドゥンで生まれたラトナ・ヴァジュラ・リンポチェは、42代目のサキャ・ティズィン(座主)です。 リンポチェはラージプールのサキャ・センターで基本的な教学を学ばれ、その後、サキャ・カレッジに入学され、カチュパ(学士相当)の学位を取得しました。インドおよび海外で多くの教えと灌頂を与え、サキャ派の主要な本尊の参籠を数多く行じられてきました。リンポチェは博識と教えの明瞭性で名高く、現在のチベット仏教界で最も適任な伝承保持者のお一人です。
ギャナ(jñāna)・ヴァジュラ・リンポチェ(43代サキャ・ティズィン)
2022年に第43代サキャ座主に就任されたギャナ・ヴァジュラ・リンポチェは、サキャ・ティチェン法王のご次男として1979年に生まれました。兄のラトナ・ヴァジュラ・リンポチェとともに学修し、後にサキャ・センターに入学され、宗教的トレーニングを積まれております。サキャ・センターでの研究とトレーニングの修了後、サキャ・カレッジに入学され仏教哲学を学ばれました。リンポチェは、少年の見習い僧に仏教と一般教育を提供するサキャ・アカデミーを設立されました。 チベット人以外の弟子に仏法を伝えるためにしばしば海外にも布教に赴かれています。
コンドゥン・ アヴィティタ(Avikrita)・ヴァジュラ・リンポチェ
サキャ宗家プンツォク宮の長であるコンドゥン・アヴィティタ・ヴァジュラ・リンポチェは、1993年シアトルで生まれました。6歳でインドに移住し、トレーニングを開始しました。リンポチェは、祖父のジクタル・ダクチェン・リンポチェ(1929ー2016)より、ラムデ(道果法)の集団法を含む途切れることのない伝承の法脈を授かりました。また、ラムデーの弟子法をサキャ・ティチェン・リンポチェから授かり、他のサキャ派の高僧からも教えを授かっています。本会会長が学んだゾンサル僧院にて2016年よりティーチングアシスタントを引き受けています。著書に Wake Up to What Matters: A Guide to Tibetan Buddhism for the Next Generation (2019)など。
コンドゥン・アバヤ・ヴァジュラ・リンポチェ
1997年、ザヤ・ヴァジュラ・リンポチェとダグモ・ランゼ・ヨンテンの次男としてシアトルに生まれました。11歳からサキャの伝統的な教育を受けるため、兄のコンドゥン・アヴィティタ・ヴァジュラ リンポチェ(前述)と共にインドでサキャ派の教えを学びはじめました。12歳のとき、出家を強く希望するようになり、インドのマンドゥワラのゴル寺ルディン坊で、ルディン・ケン・リンポチェ、カンサル・シャプドゥン・リンポチェ、アント・トゥルク、サキャ密教大学長ケンポ・クンチョク・ギェルツェンを証人として、ルディン・ケンチェン・リンポチェから戒を受けました。以来、アバヤ・リンポチェは、祖父であるジクテル・ダグチェン・サキャ・リンポチェ、サキャ・ティチェン・リンポチェ、ルディン・ケンチェン・リンポチェ、その他のサキャ伝統の高位のラマから教えを受けるとともに、チベット仏教の儀式、文学、文法といった仏法を絶えず熱心に研究しています。
コンドゥン・アサンガ・ヴァジュラ・リンポチェ
サキャ宗家プンツォク宮の家長であったダクチェン・リンポチェの孫として、コンドゥン・アサンガ・ヴァジュラ・リンポチェは1999年にシアトルで生まれました。母方の祖父は、日本にもしばしば教えに訪れられた故ガルジェ・カムトゥール・リンポチェです。アサンガ・ヴァジュラ・リンポチェは法脈の継承者としてあらゆる素質を幼少の頃から発揮されてきました。3歳にして、「仏陀十二行相賛」、「聖救度仏母二十一種礼賛経」、「般若心経」、「曼荼羅供養」、その他多くの短い祈祷を暗誦することができました。2003年、インドの八大仏跡を巡礼されている際に、リンポチェはネパールカトマンズのタルラム寺にて勉学されたいとの希望を表明されました。2005年にシアトルの親元を離れ、以来7年間一度も親元に戻ることなく学修に励まれました。2011年に、ヴァジュラ・キーラヤ(プルパ)の14時間にも及ぶ儀軌の試験に、史上最年少且つ満点の成績で合格されました。リンポチェは、アメリカ生まれの仏教教師、チベット語の翻訳者、歴史家であるほか、写真家、グラフィック・アーティスト、デザイナー、藝術の後援者、作家、詩人でもあります。
ルディン・ケンチェン・リンポチェ(75代ゴル支派座主)
大持金剛ルディン・ケンチェン・リンポチェは、サキャ派のみならず広くチベット仏教界で尊敬されているラマの一人です。チベット人社会では、リンポチェは金剛手菩薩の化身であると信じられています。偉大な学者や成就者を生み出したことで有名なルディンパ一族の生まれであり、サキャ派の3つの支派の1つであるゴル派の長を長らく務めてこられました。本会の名称である「ツェチェン・テンペル・リン」はリンポチェから本会会長へ直々に賜ったものです。
ルディン・ケン・リンポチェ(76代ゴル支派座主)
サキャ・ティチェン・リンポチェとルディン・ケンチェン・リンポチェの甥であるルディン・ケン・リンポチェは、2000年にサキャ派ゴル寺の僧院長、および他の数百の支院の長として即位しました。リンポチェはサキャ派の最も重要な法脈の保持者の一人です。5歳の時から厳しい訓練を積んで来られ、過去数十年間に亘り集中的な研究と瞑想に費やしてきました。ゴル行院での密教の教えとサキャ・カレッジでの高度な哲学的訓練に加えて、偉大な法脈の所持者からその後継者に託されるサキャ派の口頭伝授を多く受けられ、主要な密教の本尊の瞑想の修行に何年も費やして来られました。サキャ・ティチェン・リンポチェとルディン・ケンチェン・リンポチェの要請により、リンポチェは一般の在俗信徒へも仏教の伝授を行うようになっています。
タルツェ・ケン・リンポチェ(77代ゴル支派座主)
タルツェ・ケン・リンポチェは、1968年にネパールのムスタンのロマンタンで生まれました。ダライラマ法王猊下の師の一人であった故チョゲー・ティチェン・リンポチェ(25代サキャ・ツァル支派座主)の姪孫でもあります。ムスタンのロマンタンチョーデ寺で8歳で沙弥戒を受けられ、日本に帰化された前任者のソナム・ギャムツォ・リンポチェ(74代ゴル支派座主、日本名:祖南洋)の後任として、13歳の時にタルツェ坊シャプドゥン・リンポチェとして認められ、正式に即位されました。1987年3月にリンポチェは、ルディン・ケンチェン・リンポチェより比丘戒を授かり、同リンポチェによる集中的な指導の下で、サキャ・ゴル派の伝統に基づいた一連の儀式、教育、灌頂、および口伝を受けました。リンポチェは本会会長の師であるケンチェン・クンガ・ワンチュク・リンポチェからも指導と教えを受けています。2001年3月27日、リンポチェは、ゴル寺の77代座主として正式に即位しました。現在、ルディン・ケン・リンポチェとタルツェ・ケン・リンポチェは、1年ごとに交互でゴル寺座主の任を勤められています。
カンサル・シャプドゥン・リンポチェ
ゴル寺カンサル坊・シャプドゥン・リンポチェは、北インド・ドンドゥプリンのチベット人定住区で瑞兆とともに出生されました。幼少期より優れた特質を備えられていたといいます。7歳の頃に、ゴル寺カンサル坊の52代、59代、73代の座主の化身として、サキャ・ティチェン・リンポチェによって認定され、カンサル坊に招かれました。その後、学業を開始され、主要な経典を学習された後に、顕教のクラスを教えられ、その後、密教の課程を完了され、一年間教師をされました。
チョゲー・ティチェン・ガワン・リンチェン・リンポチェ(26代ツァル支派座主)
26代ツァル派座主・ガワン・リンチェン・テンジン・ツルティム・リンポチェは1981年チベットで生まれました。9歳で地元の中華学校に入学し、中国語とチベット語の文法を15歳まで勉強しました。先代のチョゲー・ティチェン・リンポチェの命により、16歳でチベット本土のナランダ寺にて即位式が行われ、その後ネパールに向かい、第二のナランダ寺であるチャムチェン・ラカン寺で先代のチュゲー・ティチェン・リンポチェに面会しました。リンポチェはその後数年間、先代の足下にとどまってお仕えになり、独自の儀礼を学ぶことの他に、教学、灌頂、口伝、真髄の伝授を受けました。19歳でリンポチェはダライ・ラマ法王猊下より沙弥戒を受け、 20歳で先代チュゲー・ティチェン・リンポチェから比丘戒を受けました。ラムデを筆頭に、多くの密教の灌頂、口伝をサキャ・ティチェン・リンポチェより受け、降魔四臂金剛手、大日如来、金剛瑜伽女、白文殊の秘密の参籠を成満しました。2019年1月にサキャ派支派のツァル派座主にご就任されました。
チョゲー・ティチェン・リンチェン・ペルジョル・リンポチェ(27代ツァル支派座主)
27代ツァル派座主のンガワン・キェンラプ・リンチェン・ペルジョル・リンポチェは1971年、ネパール西部のムスタン王室の生まれです。先代(25代)のチョゲー・ティチェン・リンポチェがムスタンを訪れた際、リンポチェのご家族はチベットの伝統に従って、次男を僧にすべく、先代に申し出られました。しかし、先代は、末子のリンポチェこそが偉大な僧になるであろうと予言され、次子の代わりに彼が受戒するべきとおっしゃりました。6歳でリンポチェは剃髪し、リンチェン・ペルジョルと名前を賜りました。1996年、先代チョゲー・ティチェン・リンポチェとルディン・ケンチェン・リンポチェより比丘戒を受けられました。サキャ・ティチェン・リンポチェ、先代チョゲー・ティチェン・リンポチェ、ルディン・ケンチェン・リンポチェから、ラムデーやタントラ集成、成就法集成などの伝授を受けられ、先代の指導の元、ルンビニなどで参籠を行いました。2019年1月、26代ガワン・リンチェン・リンポチェと同時に、27代ツァル支派座主に就任されました。