(1) 由来と成り立ち


 サキャ派を起こしたコン氏は、古くからプルパを信奉する密教色の濃い名門氏族であった。プルパとは、魔物を調伏し、障害や煩悩を取り除く力を持つ忿怒尊の一種である。「コン」とはチベット語で本来「怨恨」を意味する。天界の神の血筋を持つ彼らの祖先が、羅刹を調伏してその妻をめとり、その間に生まれた息子が「コン・バルキェ」(恨み合う中で生まれた者)と言われるようになったことに由来する。コン氏は、古くはティソンデツェン王(七九〇〜八四四)の時代にチベット人として初めて出家し、訳経官でもあったルイ・ワンポ(八世紀頃)を輩出している。中央チベットのツァン地方にクンチョク・ギェルポ(一〇三四〜一一〇二)が、一族の寺を建てたのは一〇七三年のことであった。そこには象が横たわったような形の山があり、その右脇腹にあたる所が灰白色で艶があり、なおかつ水が右回りに落ちているなど多くの吉祥の相をそなえているのを彼は見てとり、そこに寺を建てる決意をしたのであった。サキャとは「灰白色の土地」を意味する。それにちなんで寺の名をサキャと名づけ、そのまま宗派名となった。彼はインドの大成就者ヴィルーパ(生没年不明)から伝わるヘーヴァジュラ・タントラを訳経官ドクミ・シャキャ・イェシェ(九九三〜一〇七四)に就いて学んだ。

(2) サキャ五祖

サキャ五祖図像

 クンチョク・ギェルポの子孫五人は、サキャ派史上最もすぐれた人々と称えられ、サキャ五祖と呼ばれている。クンチョク・ギェルポの子、クンガー・ニンポ(一〇九二〜一一五八)はサチェン(サキャ大師)と讃えられる。彼はドクミ・シャキャ・イェシェの孫弟子シャントン・チューバル(一〇五三〜一一三五)からラムデの伝授を受け、これが連綿と伝わるサキャ派の至高の教えとなった。クンガー・ニンポの子、ソナム・ツェモ(一一四二〜一一八二)は顕密共にすぐれた学者であった。サキャ派における密教入門書『密教概説』は彼の著作で、すぐれた導きの書として、高く評価されている。ソナム・ツェモの弟、タクパ・ギェルツェン(一一四七〜一二一六)はジェツン(聖者)と冠され、五祖の中でも特に瞑想修行に長けており、驚くべき才能を持っていた。彼の著作『現観宝樹』は『密教概説』に続いて学ぶ密教入門書のひとつである。以上の三祖は、在家密教修行者で白い衣をまとっていたため「白衣の三祖」と呼ばれている。タクパ・ギェルツェンの甥、サキャ・パンディタ(一一八二〜一二五一)は、サキャ派が起って初めて出家した人物である。サキャ・パンディタとは「サキャ大学者」を意味し、親しみを込めてサパンと略称して呼ばれる。顕密双方に長けているのは言うまでもなく、医学、占星術、工芸などありとあらゆる学問に精通し、その名声は遠くインドにも聞こえたほどである。彼の著作のひとつ『サキャ格言集』は、僧俗を問わず今でもチベット人たちに愛読されている名著である。顕教をも重視する立場をとり、それまで密教にかたより気味だった宗風を変えた。晩年は、モンゴル帝国への布教を成功させ、皇帝から厚く信頼されたことにより、モンゴルによる侵略を回避させた。これは彼の功績の中でも特筆すべきことである。そのサキャ・パンディタとモンゴルへ同行したのは甥のチューギェル・パクパ(一二三五〜一二八〇)である。その名は「聖なる法王」を意味する。伯父譲りの頭脳明晰さをもってモンゴル帝国への布教を進展させ、皇帝からチベット全土の統治権を委ねられた。後にはモンゴル帝国の帝師に命じられ、モンゴルのためにパクパ文字を考案し、皇帝に献上したといわれる。皇帝とパクパの施主と高僧の関係は、後に皇帝と関係を結ぶ場合の良い模範となった。上述した「白衣の三祖」に対し、サキャ・パンディタとパクパの二祖は出家して紅い僧衣をまとっていたので「紅衣の二祖」と呼ばれる。彼ら五祖はいずれも座主をつとめた。このようにサキャ派では今日に至るまで座主は世襲制をとっている。

(3) 三つの支派

 十一世紀から世襲制をとってきたコン氏とは一線を画して、十五世紀以降新しく支派が三つ誕生した。ゴル・ツァル・ゾンの三派である。ゴル派の開祖はクンガー・サンポ(一三八二〜一四五六)で、ゴル・チェン(ゴル大師)と讃えられる。一四二九年に中央チベットのツァン地方にゴル・エワム・チューデン寺を創建した。ツァル派はロセル・ギャツォ(一五〇二〜一五六六)が開祖で、ゴル・チェン同様にツァル・チェン(ツァル大師)と讃えられている。ツァン地方にダルダンモチェ寺を建てたが、後の座主はナーレンダ寺に移った。この寺院は、名高い学僧ロントンが一四三五年に建てたものである。ゾン派の開祖はクンガー・ナムギェル(一四三二〜一四九六)で、一四六四年に中央チベットのロカにコンカル・チューデ寺を創建した。ゾン派はこの一寺のみである。

⑷サキャ派の特長

① 座主について

サキャ・ティチェン・リンポチェとダライ・ラマ法王猊下

 前述のようにサキャ派の座主は代々世襲制である。これは他の宗派には見られない特長である。サキャ派の座主をサキャ・ティジンといい、サキャ・ティチェンとは座主を長子に譲り、発言力を持つ長老的な地位についた前座主のことをいう。歴代の座主のほとんどが在家修行者で妻帯しており、「紅衣の二祖」すなわち、サキャ・パンディタとチューギェル・パクパは出家僧だったので例外である。現在、コン氏の一族はドルマ宮とプンツォク宮に分かれていて、この両宮がほぼ交替して終身で座主を務めてきた。しかし、前々座主を務めたドルマ宮の家長サキャ・ティチェン・リンポチェとプンツォク宮の家長であった故サキャ・ダクチェン・リンポチェは、二〇一四年に双方の子息五名が年長順に期間を決めて交替で座主を務めてゆくということで合意した。その後、二〇一七年にサキャ・ティチェン・リンポチェの長子ラトナ・ヴァジュラ・リンポチェが第四十二代の座主を、そして二〇二二年に第二子ギャナ・ヴァジュラ・リンポチェが第四十三代の座主を務めている。三つの支派の長は、ゴル派とツァル派は基本的に学僧など学徳を兼ね備えた者が代々選ばれてきた。ゾン派は開祖クンガー・ナムギェル以来、代々転生者を長としている。

②主な教義

 サキャ派の重要な教えのひとつに「シェンパ・シ・タル」がある。これは「四つの執着をなくす」という意味で、仏法に心を向かわせ、悟りへ導くための基本的な教えである。すなわち「今生に執着したら仏教徒とは言えない」、「輪廻に執着したら出離の心は生じない」、「自身のことに執着したら菩提心は生まれない」、「固執したら正しい見解は生まれない」という四つを念頭において実践することである。  最も重要な教えは、無上瑜伽タントラのヘーヴァジュラを最高尊とするラムデ、「道と果の教え」である。その意味は、修行の「道」の過程に悟りである「果」が絶えず伴っているということである。この教えは、輪廻と涅槃は不可分であるという「コルデー・イェルメ」の考え方を根本にしている。要約すれば、輪廻と涅槃は互いに依存しあっていて、単独では存在し得ず、どちらも自らの心が作り出したものであり、幻影の如くで、空性そのものである。それを理解すれば、輪廻と涅槃を取捨選択する固定観念が消え、どちらに対しても執着がなくなる。双方が性質上等しく、差別のないことに気付くのが重要なポイントなのである。この教えを初めて文字にし、注釈書を著したのはタクパ・ギェルツェンであった。ラムデは「三つの現われ」と「三つのタントラ」の二部に分かれる。前者は後者への導入部分である顕教の教えであり、後者は究極的な悟りを目指す密教の教えである。「三つの現われ」とはすなわち、不浄な現われ、瑜伽情景の現われ、清浄な現われであり、この三つの段階を経て煩悩を滅し、心を浄化させて密教の入り口に至るのである。そして「三つのタントラ」とは、因タントラ、方便タントラ、果タントラの三つの段階を経ることである。すなわち、輪廻と涅槃が性質上等しく不可分であることを理解し、四つの灌頂に従って順を追って瞑想を実践し、五身五智の究極的な悟りへ至ることである。「三つの現われ」の教えの前に、金剛手菩薩、無量寿仏、葉衣母などの許可灌頂を受けて、修行者は成就するまでの間、無病息災の力を与えてもらい、そして「三つのタントラ」の直前にヘーヴァジュラの灌頂を受けて、密教の至高の境地へと導かれるのである。ラムデには「集団法」と「弟子法」の二つの流れがある。前者は比較的多数の者に対して教授するものであり、後者は少人数を対象に教えるものである。集団法は上述したゴル派の開祖、クンガー・サンポの流派、弟子法はツァル派の開祖、ロセル・ギャツォの流派といわれているが、今ではサキャ・ゴル・ツァル・ゾンの各派が状況に応じてどちらの流派の教えも行なっている。またラムデ伝授の最後には、ナローパ伝来の空行母の加持も行なわれる。ラムデの伝授を全て受けた者は「不断の四つの成就法」を生涯にわたって毎日修習することが許される。それらはヘーヴァジュラ、内外の深遠の道、内外のヴィルーパ、ナローパ流空行母の四つである。


  参考文献 ⑴立川武蔵/頼富本宏編『チベット密教<シリーズ密教2>』春秋社、二〇〇五年 ⑵沖本克彦/福田洋一編『新アジア仏教史09 チベット 須弥山の仏教世界』佼成出版社、二〇一〇年  ⑶田中公明『チベット密教』春秋社、一九九四年 ⑷T.G.Dhongthog Rinpoche, Sa skya´i Chosbyung, India Yashodhara Publications, New Delhi, 1996(T.G.ドントク・リンポチェ『サキャ派史』ヤショダラ・パブリケーションズ 一九九六年)